名 屋 組
 な    や   ぐ み
 旧名屋村で、組印は五本骨の「扇」で、獅子舞を奉納する。
 名屋村は元日高川左岸で山田荘に属し天田村に隣接していた。この為元は森岡村の武塔天神宮(現須佐神社)の氏子であったが元和六年(1620)の大洪水で家屋・田畑が流失し、川筋も変わり、その後現在の地に住した。やがて船津村の紀道大明神の社が洪水で二度にわたり名屋浦に漂流し、それが縁で名屋村に紀道明神を祀り[享保十年(1725)社号御改「船附大明神」]を氏神とした。その後、明治四十二年に小竹八幡宮に合祀され、以降御坊祭りに参加するようになった。
四つ太鼓は戦後から参加している。