ひ が し  そ の    ぐ み
 旧薗村の東部に位置し、組印は「舞鶴」で獅子舞を奉納する。
大正六年に初めて祭礼に参加し、薗村の東部に位置するので「東薗組」と名づけられた。四つ太鼓はその数年前に作られていたが御坊祭りには参加せず地下内で押されていたと言われる。
 獅子舞は初代舞手の話では新町の舞手に指導を受けたと云われている、現在は「東薗組祭礼保存会」によって継承され奉納されている。