四つ太鼓

 台枠組みに長サイ棒(ちょうさいぼう)と呼ぶ担ぎ棒を付け、その上に欄干を配し、四本柱に障子と呼ぶ格天井を載せ、組印を刺繍した天幕を被せた道具。中に据えた大太鼓を陣羽織に隈取化粧の四人の乗り子が叩き、それを30〜100人の若衆で押す(御坊では担ぐ事を押すという)いわゆる太鼓台の一種である。
 現在は道中囃子は伊勢音頭であり、宮入等の式中は他の囃子になる。昔は道中にてサッサ・ハリショ等の囃子であったが、大正頃からは途絶えている。(近隣の祭りでは今も残っている)
伊勢音頭の歌詞は100種以上あるが、ほとんど川柳等の替え歌が多く、本来の伊勢音頭は一部である。

四つ太鼓の囃子(掛け声)

 四つ太鼓は余興道具として存在しあくまで祭りの主役は屋台であるが、その迫力と豪快さから現在では無くてはならない物であり、今日の御坊祭りの発展は四つ太鼓なしでは無かったと思われる。しかし仕来たりや決まりを守らず無謀な行為を繰り返せば祭りの衰退を招きかねない。
 四つ太鼓の由来は定かではないが、西日本(特に瀬戸内沿岸)に四つ太鼓と良く似たいわゆる太鼓台が数多く存在し、呼び名も同じ四つ太鼓から布団太鼓・ちょうさ・太鼓台・等色々あるが、中でも愛媛南部に御坊の四つ太鼓と良く似た太鼓台があり、今後調査したいと思っている。
 いずれの地も江戸時代より海運業の盛んな地で、おおむね西暦1800年頃に広まったと言われる。当地でもその頃、日高廻船が栄えており、おそらく廻船乗組員達により伝えられたと思われる、最も古くから四つ太鼓があるのが、中組・御坊町・濱の瀬組の三組であるがいずれの組も廻船業に携る人が多く、人口や商工も盛んで比較的裕福な地域であった事からも推測できる。江戸後期には既に存在し、凡そ200年位の歴史が在ると思われる。 

御坊町 濱之瀬組 名屋組
東薗組 御坊町 四つ太鼓骨組(中組)